OB/OG紹介 – 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)准保護官:小宮理奈さん
自信と学びを得た世界青年の船
現在、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のヨルダン・アンマン事務所で准保護官として難民支援に従事している小宮理奈さんは、自然豊かな東京・八王子で育ち、高校生のころから海外に憧れがありました。大学受験勉強中から世界青年の船(以下、船)に乗りたいと夢を膨らませ、見事大学2年生のときに船に参加。知識や経験の不足、またプライドの高さから、困難にぶつかることも多々ありましたが、さまざまな国の参加者と友情を育む中で、国際協力の現場で働きたいと強く思ったとともに「私は世界でもおそらく通用する」と自信をつけたといいます。
なかでも、当時大学2年生の小宮さんにとって、年が10近く離れている同期の日本人青年との交流は刺激になったといいます。「『国連で人道支援に従事する』という大きな目標は変わりませんでしたが、生きる上で大切な価値観、人とのコミュニケーションやリーダーシップの取り方を船に乗っていたお兄さん・お姉さんに学びました」と話す小宮さん。乗船から10年経った今でも同期との交流は続いており、人生の先を行く先輩たちの背中を見て多くを学んでいます。
節目で大活躍! 船のネットワーク
小宮さんは、下船後、大学を3年で卒業しイギリスの大学院に進学。進学先の大学院を勧めてくれたのは船で出会ったカナダ人の参加青年でした。大学院卒業後、ウガンダのユニセフ事務所にてインターンを3ヶ月行ったのち、コンサルタントして1年近く勤務。兼ねてからの夢であった国連職員というキャリアを歩み始めることになりましたが、ここでも役に立ったのが参加青年のアドバイス。「『国連職員を目指しているなら登録するべきメーリングリストがある』と同期の青年に飲み会で軽く言われ、ユニセフのインターンの存在を知りました。あのときの一言がなかったら、今のキャリアはないかもしれません」と語る小宮さん。また社会人になってから、東北支援のためのボランティアを3度オーガナイズしましたが、そのときに助けてくれたのも、東北在住の既参加青年たちでした。
旅行や出張で世界各地を飛び回る小宮さんですが、渡航前は必ずフェイスブックの船グループに旅程を書き込み、既参加青年が近くにいないか探すといいます。これまでに、ロンドン、ブライトン、マドリッド、セビリア、プラハ、エルサレム、アンマン、ナイロビ、スリランカ、ペルーで既参加青年と会えたそうです。
船と難民支援の関わり
船は自分の原点だと語る小宮さん。「異なる国籍、宗教、人種、価値観の青年たち200人以上が、閉ざされた空間で1ヶ月近く共に過ごすというのは、もはや社会的実験の域だと思います。しかし、その密度の濃い1ヶ月、そしてその後の船との関わりを通して、自分、そして社会がより分かるようになりました」また、世界の縮図のような船を経験したことにより、より社会の不平等さを実感したという小宮さん。小宮さんが参加した第21回の船の中には、現在情勢不安の続くイエメンとベネズエラの青年や、後発開発途上国であるバヌアツの青年が参加していました。世界の不平等さは頭では分かっていたものの、選挙結果を知り船の上で泣いているベネズエラの参加青年を見たり、慎ましい生活をしている島国の参加青年と行動を共にしたことは、20歳の小宮さんにとって大きな転換点になりました。
また、関心のあったパレスチナ問題について参加青年とディスカッションを持ったことで、日本に住む日本人としてはあまり普段考えない、アイデンティティについても意識するようになりました。「イエメン出身の青年が、本来自分の国ではないパレスチナついて感情的になっていて驚いた」と当時を振り返る小宮さん。数年前からキャリアを難民支援の方向にシフトさせたのも、当時船で感じたアイデンティティの問題と難民保護の間で大きな接点があると感じたからだといいます。
「難民問題は、人間として、私たちは異なるバックグラウンドの人々をどう受け入れるのかという問い」だと話す小宮さん。時には砂埃にまみれながら、水も電気もろくにない現場で働くことを余儀なくされるハードな職場ではありますが、人々の生きようとする力や他者を思いやる心、そして異なるバックグラウンドを持つ人々の交流が彼女の働く原動力になっているといいます。8月中旬よりバングラディシュ首都ダッカに異動し、引き続き、すべての人々が尊重され、バックグラウンドに関わらず尊厳をもって接せられるような社会の創造のために邁進していく予定です。