OB/OG紹介 – An-Nahal(アンナハル) Co-Founder:白幡香純さん
世界青年の船OGで、マレーシアと日本で2拠点生活をしている白幡香純(しらはた かすみ: 通称ジャスミン)さんにインタビューさせていただきました。
白幡さんは、知らないことを知るのが好きで、思いがけなく出逢う人と人、そこから生まれる新しい発想やアイディアがスパークする瞬間や五感をめいっぱい使い、想像し、ともにクリエイティブに創造するプロセスに嬉々とする方だそうです。
現在関わられている事業・活動について詳しく教えてください。
今年(2019年)、世界青年の船のアルムナイとともにCo-Founderとして、An-Nahal(アンナハル)を立ち上げたばかりです。 「外国籍の人がそれぞれの特性、経験、志向をもとに自分らしいキャリアを創ること」、「社会が多様な人財を原動力として新しい未来を創造すること」をミッションとして、 Unlock Your Potential! をモットーに人材開発に力をいれています。
主に、移民・難民と呼ばれるインターナショナルタレントのキャリア開発、企業のダイバーシティ推進、ピースエデュケーションプログラムを軸としています。 マレーシアと日本の2拠点でプログラムを展開しているのですが、私は主にマレーシア担当として、 ① マレーシアに暮らす難民やムスリムユース向けの人材開発/丁稚奉公(職業訓練)プログラム、 ②ヤングピースメーカープログラムに従事しています。
①に関しては、まだパイロットフェーズなのですが、将来パティシエや料理人になりたいユースたちがいるので、シェフたちからデザートレシピやテクニックを学ぶだけではなく、SDGsに関心が高い大学や企業と連携し、栄養や衛生の概念、マーケティング、ファイナンス、ホスピタリティの概念などを学ぶカリキュラムづくりに向けて、ユースや現地のパートナー団体らと作戦会議をしています。また、コーディングなどITのスキルを持ったユースたちがいるので、丁稚奉公先となる企業や連携団体を探しています。
② に関しては、アートやクリエイティブなアプローチを用いながら、ダイバーシティや共生、サステナビリティ、平和の概念を体感する共創プログラムです。 インド系、中華系、マレー系など文化も多様なクアラルンプールでは、食文化やファッションにしても、ダンスや絵画にしても、多様性の数だけアプローチも多岐にわたるので、新しい価値観や人に出逢うだけではなく、自身を表現することで、まだ見ぬ自分自身にも出逢うプログラムになれば、と思っています。また、講師には難民や移民の背景を有するクリエイターとの連携も想定しています。
今年、私が国際交流基金のダイバーシティフェローに選ばれ、フィリピンや日本で移民の子どもたちやフリースクールに通うユースたちと、ダンスのメソッドを通じ多文化共生を体感する手法を学んできたのですが、先生方も見たことのないという生き生きと表現するこどもたちの姿を見て、一緒に参加した各国のフェローたちからマレーシアでも是非一緒にプログラムをつくらないかという話もでており、現在作戦会議をしているところです。
会社名の An-Nahal(アンナハル) は、アラビア語で蜂という意味と、日本語の春をかけあわせてできた言葉です。上記のようなプログラムを通じ、個人の可能性が春の新緑や桜のように芽吹いていき、ひいては、花から花へ飛び回るミツバチのような媒体となり、その人自身と、その先で出逢う周りの人も満開の笑顔になっていけたら、 という想いがこめられています。 立ち上げ期ということで、まだまだ試行錯誤中なのですが、「Unlock Your Potential!」という言葉は、誰よりも自分自身に向けた言葉でもあります。自分にリミットをかけずに、プログラムをつくるプロセスで出逢う人の考え方や視点を万華鏡のように知ることができ、私自身の世界も広がっています。
2006年に世界青年の船事業(世界船)に参加されていますが、この事業に参加したことが今の活動にどのような影響を及ぼしていますか?
振り返れば、世界船はこれまでの人生において、3つの大きなギフトを与えてくれて、現在の活動に導いてくれたように思います。
- 中東やムスリムの魅力
- 憧れを目標に変え、挑戦していく姿勢
- その過程においてインスピレーションとなる仲間をもたらしてくれる好奇心の羅針盤
中東とムスリムワールドへのいざない
乗船前は、高校留学先の米国で直面した同時多発テロをきっかけに、将来戦場ジャーナリストや国連職員として働くことを夢描き、マジョリティにおもねらない複眼的な視野を身につけたいと考え、大学2年生時に世界船に参加しました。
10歳近く離れたSWYer(世界青年の船事業参加者の通称)の中には、ジャーナリスト、NGO職員、弁護士、国連職員、アナウンサーなどのプロフェッショナルたちが乗船しており、コースディスカッションのメディア分科会で、ムハンマドの風刺画の掲載をめぐるトピックの際、宗教の在り方をめぐり、イエメン、オーストラリア、チリから参加していたメディアのプロフェッショナルたちが激論を交わす場面や、人権NGOでの活動実体験からくる説得力のあるエジプト青年の意見、国連職員による現場での臨場感ある話など、彼らの論理の組み方や洞察を間近で聞くことで、自分自身が目指したい人間としての在り方やそのために足りない具体的なスキルと視点を痛感するこのうえない貴重な機会となりました。
各国から集った青年リーダー達は、欧米や北南米圏だけではなく、イエメン、オマーン、エジプト、フィジー、トンガ、ソロモン諸島、セイシェルなどこれまで人生で接したことのない国々出身の方も多く、日々知的好奇心が満たされました。とりわけ中東出身のリーダーは聡明で、人間性も素晴らしく、尊敬できる人達ばかりでした。
貧困問題、宗教やジェンダーに関わるトピックなど、政治・経済・社会面における真剣な話だけではなく、文化の面でもナショナルプレゼンテーション(出身国の紹介セッション)を通じて知ったイエメンの煌びやかな衣装や舞、世界遺産にも登録されている首都サナアの美しい写真の数々に嘆息し、陽気なオマーン青年たちのコメディ劇に笑いころげ、妖艶なエジプト美女より受けるエジプト風メイクレッスンの手ほどきに胸を高鳴らせました。
またガールズデーには、ムスリム女子たちが全身を覆っていたヒジャブやアバヤをはずし、「Only for Girls!」とにっぽん丸のプールではしゃぐ姿に度肝を抜かれ、それまで謎めいていた中東や固いイメージであったムスリムに対する印象が一気に変わり、その魅力の虜になりました。
肩書きや出身国、宗教、立場に関わらず、一人の人間としてお互いに親交を深めるなか、SWYファミリーとして築かれる絆。また同窓生に限らず、グローバルアセンブリー(世界青年の船全世代による年次同窓会)などで出逢うアルムナイたちとも同様に深い絆が築かれています。
そののち、エジプトのジャスミン革命、ソロモン諸島を襲ったM8.0地震、チュニジアの観光客襲撃テロ、イエメンの内戦など世界のニュースなどは、今まではどこか遠くの話に感じていたと思いますが、今では大切な家族の安否を確認するニュースになりましたし、東日本大震災で家族が被災した際には、すぐに力になれることはないか、と世界中のSWYファミリーたちから温かいメールをもらいました。
世界船を通じ、彼らの人間性を知ったからこそ、バイアスを持たないことで広がる世界があること、その後の仕事でも日本で中東やムスリムに対するステレオタイプや蔑視の声を聞く際には正しい情報を伝えたいと思うし、今後展開予定のプログラムを通じてもその魅力を伝えられたらと思っています。
1通のメールをチャンスに – 憧れを目標に変え、具体的な行動にチャレンジし続けていく姿勢 ”The sky’s the limit.”
乗船前は国連職員というと自分にはとてつもなく遠い雲の上の存在のように思われたのですが、実際に乗船していた国連職員の参加者とひとりの人間としてディスカッションをする機会や、当時乗船前に偶然にも熱心に読み込んでいた「社会的責任の時代:企業・市民社会・国連のシナジー」の著者でもあり、国連広報センター所長でもあった野村先生が世界船のメディア分科会のアドバイザーとなり、多岐にわたる示唆に富む意見交換をさせていただく中で、自分の中で国連に対する具体的なイメージが膨らみ、一度国連で中東・ムスリム女性に関わる仕事をしてみたいという気持ちが大きくなっていきました。
また、世界各地で既に活躍する眩しい青年たちと悩みを分かち合う中で、年の近い参加青年からは大学院進学のアドバイスもいただき、雲のようなふわふわとした憧れが「目標」となり、達成に向けて地道に行動する具体的なプロセスが浮き彫りになってくる中で、チャレンジする勇気が湧いてきたのです。
偶然にも、下船当日に「国連難民高等弁務官駐日事務所インターン募集」の案内 が世界船OB/OG会員組織であるIYEOのメーリングリストから流れてきました 。翌日が締切であることに青ざめながら、徹夜で必死に応募書類を書き上げ提出しました。
船の仲間から学んだ問題意識やチャレンジ精神をもとに大学院生に囲まれながら、緊張して受けた面接。結果、1月に下船後、幸運にも大学2年生の3月から早くもUNHCR駐日事務所でインターンをする機会に恵まれました。憧れがまた現実に一歩近づいた瞬間でした。
多くの要人が来訪するレセプションでは、慣れないスーツを着ながら世界船で学んだ表敬訪問に伴うプロトコールが活きました。
忘れもしない2008年4月13日、緒方貞子さんが仕事でいらっしゃり、お目にかかる機会がありました。毅然とされる姿と鋭い切り口に圧倒されながらも、レセプションでは各国の要人からひっきりなしに取り囲まれる世界から尊敬されるリーダーの姿に、当日誕生日であった私は神様からの最高のバースデープレゼントではないかと感動したものです。
蒼臭い当時の私の意見を尊重してくださった尊敬する上司や優秀なインターン仲間に出逢う一方で、ここでも自分に足りない視点や経験がさらに明確になりました。30歳まで修行をし、即戦力となってから戻ってこようと心に刻み、その後紆余曲折を経て、30歳になったその年、ご縁ありUNHCRで職員として今度は働きはじめることとなりました。
出勤初日から南スーダンの難民キャンプからハリウッド俳優になったゲール・ドゥエイニー氏の力強いスピーチに感銘を受け、入職当時難民高等弁務官であった現グテーレス国連事務総長の世界中の現場をまわる分刻みのスケジュール、そして約10年経っても未だ圧倒的な存在感を放っていらっしゃった緒方貞子さんとご一緒させていただく機会などもあるなか、インターン時代には見えなかった現場の葛藤や衝突、リーダーたちの裏の泥臭い努力や世界各国のフィールドで誘拐やテロの危険と隣り合わせの同僚の存在、日本に暮らす難民たちとの機微を要される地道なプロセスに奮闘していました。
振り返れば、世界船のメーリングリストに流れた1通のメールをきっかけにチャレンジし続けてきた結果、にっぽん丸のデッキから見上げた蒼い空に願っていた、中東やムスリム女性に関連する業務にもいつのまにか取り組み、 点と点が結びつき現在に繋がっていたのです。
インスピレーションの宝庫
アンナハルの共同創業者となるパートナーとも「世界船」という共通のコミュニティがあったおかげで、初対面の際、すぐに打ち解けることができました。また、現在のプログラムを構想するにあたり、移民・難民の雇用に関する世界中のグッドプラクティスを探していた際も、初対面のカナダの既参加青年をはじめ世界各地のアルムナイが温かく協力してくださいました。世界船は自分が事業に参加した後も参加年度や世代を越えて、「人」という財産を与え続けてくださり、実践的な活動へ資するプラットフォームとなっており、感謝しかありません。もちろん、これまでの人生は順風満帆というわけでもなく、落ち込んだり、悩むこともありましたが、弱気な自分を励ましてくれたり、どんなに過酷な状況下でも自らの可能性を諦めることなく、夢へ向かってチャレンジするSWYerの姿を見て、鼓舞されたことは数えきれません。まだまだ人生という航海は続くのですが、世界中にあるホームと、まだ見ぬSWYerたちが今後も後押しをしてくれると信じています。
Nahal(アンナハル)の事業を始めるきっかけは何だったのでしょうか?
日本で暮らす「難民」たちの声
昨年末まで、国連難民高等弁務官駐日事務所(UNHCR)にて、難民保護業務に従事していました。私のいた法務部では、UNHCR駐日事務所の中でも、日本での難民保護をおこなっており、難民の受け入れ、社会統合に向け、法務省を中心とした日本政府や市民社会とともに、法解釈・政策にかかる提言や施策支援をおこなっていました。
具体的にいえば、日本の場合、難民条約に加入しているので、入国管理局が難民を認定する手続きを担い、難民が確実に保護されるためのお手伝いです。法務省や裁判所に法律の文言の解釈、難民認定手続きの運用、難民申請者の出身国の状況を伝える情報提供、サポートの仕事、難民認定に携わる難民調査官、入国審査官、警備官の皆様への研修活動、パートナーNGOや弁護士と連携した難民申請者の個別支援など多岐にわたります。 私自身は、専門用語で固くなりがちなこうした業界の話を、できるだけわかりやすくお伝えし、日本で暮らしやすい環境をつくることを目指し、難民が暮らすコミュニティへ行き、地方自治体、パートナーNGO、大学等と協力しながら、300人以上の世界中から日本に辿り着いた難民(申請者)と対話をする機会がありました。そこで同定した課題やグッドプラクティスにもとづき、多文化共生政策や国際化政策などに反映するための施策、駐日代表に随行し全国の自治体のリーダーたちと対話を重ねる機会や、企業や教育機関と連携し、教育や雇用の機会を生み出すようなサポートの仕事もしていました。
ヒジャブをかぶっているので学校でいじめられるという子どもの話から、テロリストだと石を投げられる、キャリアの悩み、収容にかかる話、目の前で赤ちゃんを抱えて家族に会いたいと泣き崩れてしまう姿、女性である私にだけにと打ち明けてくださるセンシティブな話もありました。 日々、庇護希望者や難民の方から対面や電話で相談を受ける中には、空港から「助けてほしい!」と切迫する近況下のケースもあり、自分の発する言葉ひとつで命の如何が決まるかもしれない、という緊張の連続であり、あの人は大丈夫だろうか、どうしたらいいのだろうか、と夜眠れなくなってしまうことも多々ありました。そんな折、オフィスに相談しにきたクライアントのひとりが、驚くべきことに、学生時代に参加していた国際交流事業つながりで出逢った友人でした。かつて未来のリーダーと呼ばれていた優秀なその友人は、日本で難民として認定されてはいたものの、厳しい状況に直面していました。しかし、プロフェッショナルとして、中立的な立場で誰もと平等に接しなければならない中で、友人だからといって特別扱いをすることはできないのもまた事実でした。
これまで多様なステークホルダーの橋渡しをする地道な努力をしてきましたが、政策や法律は一朝一夕に変わるものではありません。そもそも難民が暮らしている事実がほとんど知られていない日本社会では、難民=テロリストという誤解やネガティブなニュースによるバイアスを持たれている方も多く、修士や博士で勉学に励む優秀な学生や企業で活躍している人方達がいることはほとんど知られていませんでした。立場上、難民という文言を使用していましたが、できる限りバイアスをかけずに個人としてみてもらうためにはどうすればよいのか。表には出ない公務員の皆さんの努力や立場、精力的に尽力されるNGOや弁護士のプロフェッショナルの皆さんの姿、限られたリソースのなかで抱える葛藤も理解しつつ、一部のプロフェッショナルだけではなく、新しいアクターを巻き込みながら、難民を負担ではなく社会のアセット、同じ日本に暮らす人と人として、フラットな関係で日本の未来を考えていける関係性ができないか、と模索し続けていたのです。
クリエイティビティの可能性を感じたR-School
そのような中で、昨年10月に開催されたのがクリエイティブの力を取り入れた共創型ワークショップ『R-School: Diversity meets Creativity』でした。日本で暮らす難⺠を含むマイノリティや Diversity(多様性) and Inclusion(包括性)のあり方に課題意識を持つ映像制作、人材育成、デザイナーなどが本業のプロフェッショナルたちが集い、既存の難⺠支援の枠組みではなく、クリエイティブの力を取り入れたR-School。多様なバックグラウンドを持つ参加者がチームを組み、『10年後には標準になっている新しい仕事を考え、未来の採用メディアを制作する』をテーマに2日間クリエイティブメソッドを学びながらアイディア発創に取り組みました。
参加者は、日本人の学生、経営者、大学教員、国連職員、クリエイターやエンジニア、国家公務員、そして、日本に暮らす難⺠をはじめ様々なルーツを持つ外国人。専門分野や活躍のフィールドはもちろん、ライフスタイルや主となる言語、考え方も異なる参加者、スタッフを含めて総勢 70 名以上のユニークなメンバーが集結。 手探りのなかで開催された本ワークショップ。結果として、個性やスキルの違いが新しいアイディアや価値を生み出す原動力になることを体感し、ユニークで創造性に満ち溢れたアイディアが創出されるなか、デザイナーやITエンジニアなど、これまで決して国際協力分野に関心が高いわけではなかった参加者からも、対等なパートナーとして切磋琢磨できる存在であると知った、自由な発想はビジネスを考えるうえでも役立つ、格差是正のため発想やスキルをもっと活用していきたいと、想像以上の反響がありました。また、様々なルーツを持つ外国人からも、日本語を話す能力が十分でなくとも、アイディアを出したり新しい機会をつくりだすことが不可能ではないことを知った、未来を創造するネゴシエーション方法など様々な視点を学んだと、多くの参加者から熱気とともに第二回開催の熱烈なコールがなされたのでした。
なにより、一緒に参加していた各国の子どもたちが、大人たちが難しく考えている間、無邪気にたのしく女子旅ごっこをする姿をみて、本当の意味でのバイアスのない世界の在り方を学びました。それぞれの専門的な知識と多様な視点を幾重にも重ね、深い愛と敬意を持ち寄りあってくださったプロフェッショナルたちのパワーが国境を越えて、ワークショップの最後に、お互いにハグしあう程やわらなか結び付きを生み、ともに未来を切り拓くクリエイティブの力におおいなる可能性を感じたのです。
マレーシアでの偶然の出逢い、次世代リーダーとは何か?
その後間もなくして、私は日本を離れ、マレーシアのサステナブルファッションブランドEarth Heirにて、中東やアジアから逃れてきた難民女性たち向けの職業トレーニングプロジェクト立ち上げやマレーシアの先住民族たちととも、ジュエリーやバッグ製作に関わるクリエイティブ業務のディレクションにも邁進することになりました。
好奇心を突き詰めていく過程で、様々なワークショップに参加し、難民を対象としたグループワークをしていたときのことです。 同じグループのとあるイエメン人が、日本に行ったことがあると言い始めたのです。理由を聞いて、息を呑みました。彼はなんと世界船の既参加青年でした。「Nipponmaru?!」 「Yes!」と思わず叫ぶほど、偶然にも出逢ったSWYファミリーとの出逢いはとてもとても嬉しいものでした。しかし、かつて次世代リーダーと呼ばれていた既参加青年は、「難民」というステイタスに変わり、難民条約を批准していないマレーシアでは、彼の場合、正規の就業機会も教育機会も許されていない状況でした。聞けば、当初、自国で勃発した内戦によりアメリカまで家族で逃げようと、アメリカ大使館のある国まで命からがら逃げましたが、入国禁止リストに入っているイエメン人はアメリカに入国できないことがわかり、入国可能であった他国籍の奥さんとは離婚。それ以来、奥さんとお子さんとは離れ離れになりました。期せずして、長い長い旅路を経て、辿り着いたマレーシアではひとりで暮らすものの、両親はまだ国内に取り残されているとの話でした。仕事柄、こうした話は何度も聞いているはずでしたが、SWYerが政治に翻弄され、家族が引き裂かされる姿を見聞きすることはショックでした。
マレーシアで出逢ったSWYerはひとりだけではありませんでした。同窓の第19回(2006年)の既参加青年とも再会したのです。まさか世界船に参加後10年以上の時を経て、こうした形で再会するとは夢にも思っていませんでした。誰よりも優秀で尊敬している世界船の仲間やその家族が、内戦で翻弄される姿を目の当たりにするのは、なによりもつらいものでした。それでも、人格者である彼らは、反日感情が一部の韓国人から高まっていたことが話題になっていた際には、「守るから安心して!」と私を思いやってくれる寛容さを持ち、ビジネスコンペティションがあれば、ピッチをしに行くほど、そのスマートさは健在でした。「日本でのホームステイ懐かしいなぁ」とほころぶ顔や、今でも覚えているんだという講談を得意げに披露する姿、ついついあれやこれやと相談すれば面白いアイディアが出てきては吹きだす空間は、昔も今も変わらぬSWYファミリーの団欒そのものでした。
丁度そのころ、第22回世界青年の船の既参加青年でもあり、R-Schoolのコアメンバーとしても活躍していた品川優さんから、R-Schoolを発展させた会社を設立したいという相談を受けていました。 当時、私自身が既にスタートアップの立ち上げ事業で相当目まぐるしいスケジュールでしたが、彼女の問題意識や覚悟を聞きながら、クリエイティブの可能性や世界情勢に翻弄されるSWYerや他にも出逢った様々なタレントを持つ難民やユースたちを想うにつけ、 「明日死ぬとしたら、自分は今何がしたいか」と問いかけてました。その結果、移動の自由、就労の自由、教育の自由、表現の自由、すべてをもっている自分の可能性や機会を最大限使ってみよう、そう思ったのです。 こうしてたくさんの偶然の出逢いに導かれ、2019年、An-Nahal (アンナハル)が誕生、その航海が始まりました。
現在関わっている活動の中で、ご自身で「楽しい!」「これはチャレンジだ!」と思うことは何ですか?また、それらと対峙する際に心がけていることは何ですか?
楽しいことは、Life is Serendipityということです。日々走りながら考えているような状態ですが、予測していなかった偶然や人に出逢うことが多く、志のあるリーダーたちに導かれ、思いがけないアイディアや協力を頂くことで、次の道が見えてくる瞬間は楽しいです。
たとえば、共生の在り方について悩んでいた今年の夏、昨今の自国第一主義や異なるイデオロギーによる衝突に警鐘を鳴らすべく開催された「シンガポール/ASEAN+3共生社会を考える国際会議」にて、ヤングリーダープログラムの日本代表として参加する機会がありました。世界各国から集まったユース代表は、宗教グループ(仏教、道教、キリスト教、ムスリム教など)やInter-faithグループ (異なる宗教間の対話を進めることを目的とした活動をおこなう)の代表がほとんどで、正直無神論者の自分は何を話そうか当惑しかけたのですが、思想は異なれど、誰しもが平和の紡ぎ方を望んでいることがわかり、ユースという共通軸をもとに、テクノロジーを駆使するお坊さんやイマーム、ガンジーの子孫と活動をしているというユースらとディスカッションをすることで、普段触れ合っている人からは到底得ないであろうインスピレーションを得ました。
シンガポールのハリマヤコブ大統領とユースの間でオープンに意見交換できる機会もあり、企業が共生やダイバーシティに果たす重要性に関しても示唆をいただきました。現在作り込んでいるヤングピースメーカープログラムもここで出逢ったリーダーたちからも、平和やサステナビリティの紡ぎ方にかかるアドバイスを仰ぎながら、ブラッシュアップしています。
また、ヨルダンのアブドラ国王もご出席されたオープニングセレモニーでは、ディナーで隣に座った宗教リーダーが、偶然にも世界船と姉妹プログラムである「東南アジア青年の船」の既参加青年ということがわかり、一気に距離が縮まったことで、なぜかお相撲の話で盛り上がるという微笑ましい出逢いもありました。
課題を挙げればきりがないのですが、日々心がけていることは、目にみえる一定の情報ソースのみを過信しないことです。SNSなどで個人が情報を発信しやすい時代となりましたが、事実に基づかない情報が拡散されるケースもありますし、BBC、CNN、アルジャジーラなど日本のメディア以外でも発信されている複数のリソースからクリティカルな視点も得るようにしています。
あとは、メンタルコントロールです。自分自身が燃え尽きてしまっては本末転倒であるのと、感情的になりすぎると冷静な判断ができなくなってしまうので、課題に直面した際はファクトに基づいて、できること、できないことを考え、その時できるベストなアプローチをおこなうようにしています。
チームとも、自己犠牲ではなく、お互いに自分自身が一緒に楽しめる状態になれるよう、できないことや得意ではないこと、快適に思わないことなどをオープンにシェアしあえるような関係性を目指しています。 健全な魂は健全な肉体に宿ると考えているので、自然が豊かな森での登山、ヨガや筋トレなど、悲しい気持ちになっても、笑顔になれるようなスイッチを持つようにしています。
立場上、若者の育成に関わることもあると思いますが、関係性や伝える言葉など心がけていることはありますか?
育成というより、むしろユースは自分が知らない世界を知っているので、知らないことや楽しいことは教えてもらい、自分が知っていることで役に立ちそうなことがあればシェアしつつ、双方向性のあるフラットで愉快な関係性を保ちながら、自分自身も一緒にアップデートしつづけられたらなと思っています。
今後の活動や展望などありましたら聞かせてください
上記のプログラムを現在仕込み中で、ヤングピースメーカープログラムは2020年2月実施を予定しています。日々試行錯誤中ではありますが、出逢った人たちと一緒に未来を創り上げるプロセスはとても楽しいです。
最後にこれから事業への参加を考えている方、またOBOGへのメッセージをお願いします。
❝The best way to predict the future is to create it! (最も確実に未来を予測する方法は未来を作り出すことだ)❞byピータードラッカー
SWYファミリーとして、これからの未来を一緒につくりあげていくことを楽しみにしています。
インタビュー担当:長末辰也(第13・24回世界青年の船事業参加)