OB/OG紹介 – 公益財団法人ジョイセフ アドボカシー・マネージャー:斎藤文栄さん
現在、公益財団法人ジョイセフのアドボカシー・マネージャーとして活躍されている斎藤文栄さんは、ジェンダーと公共政策の専門家として、これまで国会議員秘書、国連、NGOなど様々な場でお仕事をしてきました。プライベートではカナダ人のパートナーを持つ斎藤さんにお話を伺いました。
船との出会いとその後の交流
大学の英語サークルで参加した国際交流事業にて、たまたま世界青年の船(以下、SWY)を紹介された斎藤さん。英語でコミュニケーションを取ってみたい、もっと海外のことを知りたいと思い、1991年、大学4年生のときSWY3回に参加しました。当時SWYは2ヶ月間のプログラムで、寄港地はアメリカ、コスタリカ、ベネズエラ、メキシコの4カ国でした。船に乗ったことで価値観が劇的に変わったということはないものの、様々な参加者と出会ったことで、世界中色々な場所で仕事ができるという意識が芽生えたそうです。インターネットがまだない時代でしたが、下船後も交流を続けるため、参加者自らがニュースレターを発行し、斎藤さんもその発送を手伝っていたそうです。
また、下船後も思いがけないところでSWY出身者と仕事をしたこともあるといいます。例えば、斎藤さんと仕事上関わりのある国際NGOの国際家族計画連盟(IPPF)ロンドン本部で働いているのは、ベルギー人のSWY出身者です。何より、斎藤さんの結婚相手は、実は船の同期のディビットさん。下船してから10年後に再会、それから数年ごとに会っていた友人でしたが、出会ってから19年後に結婚を決意。お互いキャリアとプライベートを両立すべく、結婚後も東京、カナダ、マレーシア、ネパール、イギリスと場所を変え、時には離れ離れになりながらも、二人で困難を乗り越えてきたそうです。
キャリアの始まり、そして転換
いつか留学してみたいと思ってはいましたが、大学卒業後は地元新潟の放送局に勤務した斎藤さん。仕事は充実していたものの、女性のみがお茶くみ・机拭きを任せられたり、職場内セクハラが横行していたり、女性が当たり前のように差別される環境に疑問を感じました。3年後、念願のアメリカ留学を果たし、選んだ専攻は「女性学と公共政策」。在学中にインターンをしていた全米女性機構(NOW)では、米国三菱の集団セクハラ事件の関係で日本の女性国会議員と仕事をする機会も得られました。
帰国後、インターンを介して知り合った堂本暁子さん(元参議院議員・元千葉県知事)と福島瑞穂さん(参議院議員)の秘書を7年ほどしました。その間、ジェンダー関係のNGOや国連と仕事をしたり、どのような女性関連法案が国会で作られているかをウェブで発信したりと、充実した時間を過ごしていました。一方で、法律を作る側ではなく法律を運用する側になりたいと思うようになり、一念発起して日本のロースクールへの進学を決意。しかし、ロースクールを卒業し司法試験を3回受けまたものの、残念ながら試験に合格することはできませんでした。
結婚を機に舞台は世界へ
当時39歳だった斎藤さん。司法試験にも受からず先が見えないと思っているときに、ディビットさんと結婚することを決意。結婚を機に、国際協力分野にも手を伸ばしてみようと思うようになりました。ディビットさんと一緒にカナダやイギリスで暮らし、その間にエセックス大学で国際法修士を収めます。一旦日本に帰り、御茶ノ水大学でジェンダー政策学の講義を行っていたところ、東日本大震災が起こり、今度は女性被災者支援をする団体のコーディネーターをすることになりました。その後、ジョイセフのアドボカシー・ポジション、マレーシアにあるIPPFの地域事務所、国連人口基金ネパール事務所で勤務しました。ネパールに行くことを決意したのは、やはり政策提言のみならず、現場でどのようなプロジェクトが行われているかが見たかったからだそうです。その後UN Womenの東京事務所で働くために日本に戻ってきて、1年後再びジョイセフで働き始めました。現在も、国際会議のため2ヶ月に1回は海外出張があるという斎藤さん。昔から専門にしていたジェンダーと公共政策に加え、より国際的な活動をするようになりました。
今後のキャリアと日本の展望
ほぼ一年ごとに住む国や職場を変えている斎藤さん。住む国や仕事が変わるたびに不安はあるけど、毎回なんとかなると笑い飛ばします。結婚してからは特に、ディビットさんと一緒にいながらどうお互いのキャリアを構築するかが、仕事を選ぶ際の重要なポイントになってきたと言います。また、カナダに最初に移ったときは、もう二度と日本には帰らない気でいたそうですが、今は肩の力が抜け、もっと柔軟にキャリアを考え、日本と海外を行き来しながら仕事を続けたいと考えているそうです。
日本ではまだ、ジェンダー平等が当たり前ではなく、むしろジェンダー平等の必要性や可否についてさえ議論が起こるのが日本だと言います。その一方、若いフェミニストがどんどん現れ、海外メディアを通じて英語で意見を発信するような動きが出てきているとそうです。政治にはなかなか期待できないけど、こういった裾野の広がりには大いに期待していると斎藤さん。元来日本のフェミニストは年齢層が高かったそうですが、今後はそういう若者が社会で活躍できるよう応援したいと考えているとのことです。
若者へのメッセージ
お父様を最近亡くした斎藤さんは、自分の都合だけで海外にいたり、好きなことをやったりする期間は、人生の中で案外短いのかもしれないと感じるようになったと言います。だからこそ、動けるときに好きなことをやるのが良い、と若い人に伝えたいそうです。また、今自分と気が合わないと思っている人とも、長い視点で見れば将来友だちになるかもしれないから、日々の人間関係は大切にするべきとのアドバイスをいただきました。
インタビュー担当:小宮 理奈(第21回世界青年の船事業参加)